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RIDE HOLIC: 01「何かを極めた後の感謝の先に」

やめられない止まらない。ライド中毒者たちをピックアップする企画、”RIDE HOLIC”。最初に取り上げるのは20年近くプロライダーとして活躍し、今もほぼ毎日乗り続けている愛知の新出佳弘。フラットランド「道」と語る彼のBMX観を聞いてみた。


先日終了した東京オリンピックで、新種目として加わったBMXパーク。初めてBMXを目にしたり、みたという人も少なくはないはずだ。

BMXパークは、BMXフリースタイルと呼ばれる、BMXを使って技を披露し、その難易度を競う競技の1種目だ。

他にも、土でできた連続ジャンプで技を見せるダートジャンプ、U字型のランプと呼ばれるジャンプ台を左右行き来する中で、技を見せるバート、そして今回の話のテーマである、平らな地面で、BMXと体だけを使って技を見せる、フラットランドという種目がある。

90年代後半から、日本のトップフラットランドライダー達は、当時世界最高峰と言われていた、アメリカの巨大スポーツチャンネル、ESPNが主催するX-Gamesへ挑戦し始めた。2000年代前半には、世界中で開催される国際大会で、日本人の誰かが常にトップを争うまでになる。

大会での成績だけでなく、新しい技やトレンドを生み出しつづけ、日本は世界トップクラスのライダーたちを次々に輩出する、世界中のライダーたちが注目するシーンとなった。

そのフラットランドという競技で、長く日本のトップライダーの一人として最前線で乗り続け、今は某東証一部企業でプロダクトデザイナーを生業としつつ、フラットランドを追求し続けている男、新出佳弘

家庭のケアや、忙しい仕事の合間を縫って、毎日乗り続けているという新出。BMXを生業とするわけではない、40代を迎えた彼から、BMXを「極める」と言う言葉がでてきた時、そこにはBMXシーンから離れてしまった自分の心にも響く、何かを感じた。その言葉の真意を知りたくなった。

特定の技のみに執着するライダーが多い中、若いころからありとあらゆるトリックを貪欲に吸収し、自分のものとしてきた彼がその言葉を口にすると、フラットランドを「道」と捉えている真摯さの現れ、重みを持った言葉に聞こえた。

お金のためでもなく、名声のためでもなく、好きで乗ってます、というのとは全く違う、フラットランドを「極める」ために乗り続けている理由は何なのだろう。話を聞いてみた。

聞き手:竹生 泰之

BMXフラットランドを「フラットラン道」と呼んでたけれど、いつからライディングを「道」と捉えるようになってきたの?

40歳を過ぎた頃、ふと「何のために乗ってるんだろ?」と自分を見つめなおした時に、お金や名声のためじゃないなと思い肩の力が抜けてきました。

難しい技をすればするほど、感覚が鋭くなり、自然や地球をより感じる感覚を覚え、色々と調べて行くうちに、マインドフルネスや悟りや宮本武蔵の五輪の書などに書かれている修行僧や達人の感覚に共感を覚えたのが始まりでした。

BMXがオリンピック競技になり、フラットランドについてもスポーツか?ストリートカルチャーか?など議論は尽きないが、自分にとっては”道”であり”哲学”だと感じています。

BMXフラットランドは、生き方であり、感謝であり、真理の追求であり、精神の修練であり、悟りであり、自然や宇宙の普遍的法則を感じる場ですね。

道と言うと、柔道や剣道のような、型から入る文化のようなモノをイメージするけどそう言ったものとはちがうの?

自分が考える道には中国哲学的な意味が含まれています。宇宙自然の普遍的法則、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く捉えて道という表現にしています。

また、千利休が日本のディレクターやデザイナーの先駆けだと思っており、千利休は茶の世界観に中国哲学的な意味をも含めた総合的なブランディングを行い茶道の世界観を日本に広めました。

お茶は鎌倉時代に日本に入って来てますが、千利休がいた戦国時代を経て現代までの間、その文化は様々な広がりがありつつも、根本的な価値観は継承されており、そのような繋がりを道と捉えています。

とはいえ、最初の頃は、やっぱり名声とか、世界一になりたいとか、そういう「欲」、で乗っていた感じだったのかな?

欲しかなかったです。富!名声!女!(笑)

ほんの少しだけ叶いましたが、途中からは伸び代が悪くなりました。欲に幸福感は比例はしない。飾りのような価値というものは寂しいものです。

例えばKing of Ground(KOG)の価値はわかりやすく、「ライダーとしてそこで何を示して、ライディングを進化するために何を得たか?」に集約されていました。メダルじゃない価値観、場や空気との一体感がありました。

今はコロナ禍で、大会にリアルに人が集まることで生まれる共感が弱くなっている。それに大会を競いあう場と捉えすぎると、もっと大きな価値に到達できません。

TVではメダルや順位の話ばかり取り上げられますが、自分の意見としては、誰が1番、宇宙の原則を感じさせる動きをしてたかとか言って欲しい(笑)。大会の結果は、その大会のルール上での順位というだけです。

理想は、他のライダーの凄い技を見て、テンション上がって、自分もベストライティングができる。会場が盛り上がる、それを受けて次のライダーが更に凄いライディングを見せる。このサイクルから産まれる熱に非常に価値があり、魂や精神の会話に繋がります。

 *King of Ground、1998年〜2016年まで続いたBMX フラットランドの全日本選手権。海外からも多くのトップライダーが訪れるなど、国際的なコンテストでもあった。

もっと大きな価値、とは?

今まで200回以上は大会に出てきて、優勝や表彰台に上がれた事はもちろん嬉しかったです。でも記憶に残っているのは、ベストの技を決めて、心の中で、おっしゃー!!ってなって、周り見たらドッカーンって盛り上がってる、そんな場面ばかりです。あそこであの技を決めた自分、神がかってる的な。

順位を意識していた時は大体負けてるし、勝っても、守って勝ったな的な雰囲気が周りにも漂うし、自分としても嬉しくもないんですよね。せっかくのライディングが味気ない仕事みたいになってしまって。

魂や精神の会話に繋がる、ってところだけれど、これって音楽でいうところのセッション的な感覚なのかな、ライディングで会話する、みたいな?

セッション的な感じと同じだと思います。ライダー、観客、自然、宇宙と順々に繋がって行く感じですかね。

フラットランドのライディングを「舞を神様に奉納するやつの現代版」という話をしていたけれどそこを詳しく聞かせて。

舞の起源は回っては回り返すを繰り返し、身を清め、神を降ろし交流する「神がかり」にあると言われています。それが江戸時代あたりに奉納という形になって、人生の喜ばしい行事を神様にも一緒に喜んでもらおうという趣旨に変化します。

毎年名古屋で元旦に行われていたデラウマカップは自分的には奉納的な一面があり、近くの若宮八幡神社や熱田神宮で年越しを迎えBMXに乗って新たな年を迎える神事と繋がった行事でした。

それからシーンは繋がりKOG、A-style jamなど沢山の大会がその後、行われてきましたが、それらの大会の中で、プロライダーの神がかったライディングというものがシーンを盛り上げてきました。この神がかり的なライディングは舞の起源である、神との交流という本来の神がかりに近いものであると感じています。

それは極限の状態で鋭くなった、感覚器を使っての環境との対話、調和で、その場の空間から広く外と繋がって行く感覚で、自分はその感覚こそが本来の神との交流、「神がかり」の1つの側面だと思っています。

そして、その神がかったライディングを大会だけでなく、常に行える事が、理想的な状態であり、環境との対話や調和に繋がり、真理に近づく行為だと捉えています。

話を俗なところに戻すと、新出はA-Styleとか、ライダーの中でも大会を主催とかして、コミュニティにも貢献していたけれど、そういった他のライダーに場を作る、初心者に自転車を教えてあげたりとか、そのような部分は「フラットランド道」という概念の中では、どういう意味を持っていたのだろう?

道、という概念には永続性、持続可能性が重要で、物語や歴史を次の世代につないで行く必要があります。そのために大会やコミュニティが重要になります。

例えば古代ギリシャ時代のパルテノン神殿、伊勢神宮ともに永続性を考慮して建てられたものですが、伊勢神宮は式年遷宮による技術や文化継承により、今でも建築当時の綺麗な姿のまま受け継がれている一方、パルテノン神殿は朽ちて過去の遺産になってしまっています。

永続性とはコミュニティが、場やモノを維持、継承する取り組みによって支えられているのではないでしょうか。

日々コンテンツが消費される世の中で、自分達の活動は、長い目で見た時に必要な活動かどうか。持続可能性のある取り組みかどうか。少し長い目で見た価値作りと、それを後世に伝えて行くことに重きを置いて活動をしています。

そうした活動も、昔はストーリー重視で一方通行の価値観で成立していた社会が、近年ではインターネットやスマートフォンの普及により、双方向のコミュニケーションが強くなり、ナラティブとよばれる、人それぞれの主観的な物語性も重要な要素になっています。

宇宙の真理に近づける概念を「道」と定義すると、フラットラン道は1つの大きな価値であり、後世に受け継がれる価値があるものと考えています。

「物語や歴史を次の世代につないで行く必要がある」って言っていたけれど、次の世代へ期待するもの、伝えたいことががあれば教えて欲しい。

サスティナブル(持続可能性)、ナラティブ(ライダー1人1人が紡いでいく物語)を意識して欲しいのと、ライディングできる事への感謝を忘れずに。この先の世代に何を残すのかを考えて行って欲しいです。

自分たちの世代は、今までになかった技を沢山編み出し、世界に通用するライダーが沢山排出されました。KOGなど熱狂を生むコンテストから始まり、今の流れにまで繋いできました。次の世代の1人1人が主人公だと思っています。


新出佳弘

1995年にスケーターからBMXライダーに転身。2000年KOGプロクラス昇格、2004年KOG年間ランキング2位。その後国内外のコンテストに200回以上出場し優勝、表彰台多数。今も現役で大会に出続けている。

21年間のプロ活動の中で大会やスクールやショーを数多く実施。現在はBMXLaboというBMXの研究とオンラインスクールを兼ねた有料サロン運営。またBMXLoveというコミュニティも運営している。

普段は某東証一部企業でデザインと企画の仕事に従事。プロダクトデザインではreddot design賞Best of bestの受賞を始めiF design賞、ASIA design賞、Good design賞など複数の賞を受賞。


聞き手:竹生 泰之

90年代後半に、宇野陽介らBMXフラットランドのパイオニアたちとアメリカのBMXフラットランドコンテストシーンに挑戦。椎間板ヘルニアで23歳で現役を退いた後、当時の日本のトップライダーたちが作り上げた全日本選手権、King of Ground (KOG)のジャッジ手伝いから始まり、2003年より運営を行う。2007年にアメリカ、オランダの国際大会主催者と共に、BMX Flatland World Circuit (BFWC)というBMXフラットランドの世界選手権を開始。2012年まで運営を行った。

2001年から2007年までBMX Freedom誌のゲストライター、フォトグラファーとして活躍、2011年から2016年までEncounter BMX Magazineという雑誌も主宰。2017年にKing of Groundを休止し、BMXシーンから退いた後も、ソフトウェアエンジニアとして働くかたわら、BMXの文化的な面で、時折発信をしている。